勢い余って新しいジャンルの記事を書き始めてしまいました。
スピッツの名曲『夏の魔物』。
草野マサムネ氏の美しい詞がロックに奏でられます。
とくにコアなスピッツファンに人気の曲ですよね。
スピッツのデビューアルバムに収録されています。
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謎めいたこの曲は、巷では、実は悲しい曲で、流産を歌っているんだというのが定説のようです。
悲しい曲であることは同意見なのですが、正直、個人的に抱いたイメージと全く異なりました・・・
もちろんこれから書く内容は個人的な解釈です。
ただ、私はここに書く解釈の丁寧さにかけては一定の自信をもっていますよ。
スピッツ歴15年が本気で解釈してみました。
“流産説”とは一味違う世界観の解釈を見てみませんか?
『夏の魔物』は君の死を悼む曲
まず結論から言いますと、この曲は病に冒された「君」の死について歌った曲だと、私は思っています。
(君が彼女とは限りませんが、想像しやすいようここでは彼女とします)
「夏の魔物」とは、本当にはいませんよね。
ということは、何らかのメタファー(隠喩)なことは確実です。
歌詞のほぼすべてが過去形で語られていることも解釈のヒントになると思います。
時系列としては、1番(過去)→2番(過去)→→サビ(今の思い)
1番の歌詞
古いアパートのベランダに立ち
《出典》 作詞:草野正宗『夏の魔物』
僕を見おろして少し笑った
古いアパートに住んでいる君。部屋は2階なのでしょう。
2人は待ち合わせしているのです。自転車(後出)で迎えに来た僕が君を見上げるシーンです。
なまぬるい風にたなびく白いシーツ
《出典》 作詞:草野正宗『夏の魔物』
白いシーツは、床(とこ)= 病気のイメージです。
彼女は病気の自身の行く末を知っているから、冒頭で僕に会えて嬉しくても少ししか笑えません。
魚もいないドブ川越えて 幾つも越えていく二人乗りで
《出典》 作詞:草野正宗『夏の魔物』
折れそうな手でヨロヨロしてさ 追われるように
魚もいないドブ川。
魚もいないくらい汚染されている≒病気を思わせるとともに、「越えて」を重ねているところから、2人で乗り越えたいという思いも垣間見えるように取れます。
折れそうな手というのは、最初は病気の君の手かと思いましたが、恐らくまだ幼く未熟で、彼女を守るには弱い僕の手が自転車のハンドルをぐらぐらさせているイメージでしょう。
まるで彼女の死期に追われ、逃げるみたいによろけながら2人乗りで自転車をこぐのです。
いかにも死と性(生)を歌うスピッツらしい世界観です。
サビ
幼いだけの密かな 掟の上で君と見た
《出典》 作詞:草野正宗『夏の魔物』
夏の魔物に会いたかった
ここが一番、解釈が難しいところです。
「君と見た」のに「会いたかった」というのは矛盾しているように思えませんか。
私はここに、子どもならではの世界観を感じています。
こんな感じに解釈してみました。
僕と君は2人だけの掟を作っていた。
夏の魔物に会える掟。
夏の魔物に会えていれば君は助かるはずだったのに。
「幼いだけの密かな掟」とは
2人の年齢については、意見が分かれるところですが、「幼い」「掟」から想像するに、小学生~14歳を想定しています。
(15歳からってちょっと大人になっちゃいますよね)
子どもの時って、けっこう自然に妄想の世界に入り込んだりするものです。
小学生の頃に、よく迷信が流行らなかったでしょうか?
おかしな決まりごとを仲間内で作って守ろうとしたり。
お化けが出る話を、本気で信じたり(実は信じたいだけだったり…)。
「掟」とは、辞書によると、“守るべきものとしてすでに定められている事柄”です。
僕と君は2人で密かな掟をこしらえた。
でもそれは幼さゆえの、現実味のない掟であったことを意味するのです。
「魔物」とは何か
では、魔物とは何だったのでしょうか。
“魔”という文字は、魔性・魔がさしたなどといったように、どこか”得体の知れない”ものを感じさせますね。
そう思うと、「魔物」というのは、いつでも会えるものではなく、意図せず会うもののような気がします。
もし“「魔物」に会えたら”、ひとつの奇跡に近いことだと思うのです。
だから、ここでの「魔物」は、「甲子園の魔物」のニュアンスに近いのではないかと思います。
「甲子園の魔物」とは、甲子園での試合で思わぬどんでん返しが起こることの例えです。通常ではありえないエラーが起こったりして、最後の最後で逆転劇が起こった時なんかに、使われる慣用句ですね。
ここで、実は後半に「魔物に会いたかった」という歌詞を読み解く大きなカギがあります。
それは次の歌詞。
僕の呪文も効かなかった
《出典》 作詞:草野正宗『夏の魔物』
魔物と呪文は同じジャンルの言葉ですね。
呪文は叶えたいことを実現するために唱えるもの。
呪文「も」と言っていることから、他にもそうした何かがあったと解釈できるわけです。
もし他にないのなら、僕の呪文“は”効かなかった、の方が語感もいいはず。
では何に祈りを託したか。これが「魔物」なのです。
ひいては、「魔物に会う」こと。
「魔物に会う」ことによって、願いが叶うと彼らは思っていたのです。
つまり、魔物に会えたら、というジンクスのようなものだった。
魔物に会うことで叶えたい願いがあったととらえると、歌詞がすべて自然に入ってきます。
願いとはもちろん、彼女の病気が治ること、です。
たとえばこんな幼い2人の会話を想像してみると、イメージが湧くかもしれません。
空には夏らしい入道雲が浮かんでいます。
僕「なんか、雲がモンスターみたい」
君「…夏には魔物がいるってお父さんが言ってた」
僕「魔物?何それ?」
君「なんか甲子園で奇跡を起こしたりするらしい」
僕「女神みたいな感じ?」
君「わかんない」
僕「魔物なら君の病気も治せるかも」
君「そっか。…魔物に会えたらいいな」
…たとえばですけどね。
そこで夏の魔物による奇跡を起こすために、掟を作ったりしました。
奇跡を起こすには代償が要りそうだから。
掟の上で君と見た(夢見た)ということです。
「夏の魔物に会いたかった」とは、君の病気が治るという奇跡を叶えたかった、ということの比喩なのです。
2番の歌詞
2番にいきましょう。ここは1番の続き。思い出パートです。
大粒の雨すぐにあがるさ
《出典》 作詞:草野正宗『夏の魔物』
長くのびた影がおぼれた頃
ぬれたクモの巣が光ってた 泣いてるみたいに
大粒の雨。夏だから、夕立のイメージでしょう。
日が暮れかけてのびた影が夕立にかき消されました。(おぼれた、という表現が素敵ですね)
雨でよく表されるのは、涙・悲しみです。
ここでは夏の夕立とかけて、君の涙を表しているのです。
僕が「すぐにあがるさ」と言ってるのは、悲しんでいる君に僕が言った言葉です。
“大丈夫、治るよ”という意味の言葉を彼女にかけました。
でも、僕には濡れたクモの巣を見て、泣いているように見えるのです。
悲しい気分でなければ、クモの巣に光る水滴をそんな風には感じません。
僕はさっき君に言った言葉が、単なる慰めにすぎないことが自分で分かっているのです。
奇跡は起きないのは、子どもながらにどこかで分かっていた。
2番サビ~最後
殺してしまえばいいとも思ったけれど 君に似た
《出典》 作詞:草野正宗『夏の魔物』
夏の魔物に会いたかった
だから、いっそ自分で彼女を殺してしまう選択肢も考えた。
いつか君を失うことに耐えられないからです。
追い詰められた僕が幼いゆえの、浅はかな考えだったとも言えるかもしれません。
でも、それはできなかった。
さて、この「君に似た」という歌詞が、この曲の解釈の最大のネックです。
ここで展開した解釈では、「君に似た」は説明が難しい。
「魔物」は、得体の知れない、でも奇跡を起こしてくれる何かでした。
それが君に似ているとはどういうことか。
考えうるのは、魔物自体の得体の知れなさ・不思議さを彼女の魔性と重ねていること。
人智を超えたものとして君を、魔物と重ねていること。でしょうか。
マサムネ氏の実際の2020年11月1日のラジオ番組「ロック大陸漫遊記」での発言によると、“(曲を作る時)ストーリーが見えそうになると、煙に巻く言葉を散りばめてしまいがち”(概略)とのことなので、もしかしたらそのようなトリッキーさが、この曲にも表れているのかもしれません。
ラストのサビです。
幼いだけの密かな 掟の上で君と見た
夏の魔物に会いたかった
《出典》 作詞:草野正宗『夏の魔物』
僕の呪文も効かなかった
夏の魔物に会いたかった
奇跡が起きてほしかった。
彼女が助かることを祈って僕は呪文も唱えた。
でも、その思いは、届かなかった…。
この、「僕の呪文も効かなかった」というフレーズで初めて彼女はもういないことが決定的になります。
1番の歌詞で病気をイメージさせていたことを思い出してください。
“効かなかった”というのは願いが届かなったのですから、彼女は助からなかったわけです。
マサムネ氏の情感のあふれる歌い方も合わさり、痛切なやり切れない思いを感じさせ、あっという間にここで曲は終わります。
魔物=2人の子ども(赤ちゃん)説ではない
冒頭でも述べた通り、この曲の定説は、“「夏の魔物」=夏に生まれる予定だった2人の子どもで、意図せずできてしまった子だったが、流産してしまった”
という説だそうです。
はじめは、なるほど…?と思いかけたのですが、やはり私には、どうもそうは思えません。
まず、赤ちゃん=魔物って命に対して失礼ですよね笑
いや、そんな感じの映画もあるけども。イレイザーヘッドか?!
突然すみません。
魔物=子ども説でなないと思う理由を説明します。
この流産説の根拠は、
「君に似た 夏の魔物」
という表現と、
「殺してしまえばいいとも思ったけれど」
というところの2点のみです。
たしかに、この2点だけ見ると、やけに現実的で、そのようにも見えますね。
ただ、その割には子どもが“できた”と分かる瞬間も、お腹にいるような描写もなく、ちょっと性急すぎるように思うのです。
マサムネ氏なら、命らしきものを、もう少し繊細に表現しそうです。
いや、主人公は若さゆえに短絡的だったんだ、という解釈を否定はしません。楽曲の解釈は自由です。
でも、魔物=赤ちゃん説で歌詞を見ると、辻褄があわないところがたくさんあります。
マサムネ氏は、歌詞を大切にする御方です。
2人の子どもなら、「君に似た」という表現だけで事足りるとするだろうか?(僕にも似てるはずですよね。)とか。
流産後が2番なら、「大粒の雨すぐにあがるさ」と言う慰めの言葉は軽すぎる。とか。
(赤ちゃんを)「殺してしまえばいいとも思ったけれど」、という歌詞からの直後の悲痛な(赤ちゃんに)「会いたかった」の乖離がすごい。とか。
「君と似た」はいいけど、「君と見た」の意味が通らない。
「掟」=男女の交わりという解釈は無理がないか。マサムネ氏は掟などと堅苦しい表現をしない気がする。だってグラスホッパー(別曲)ですよ。とか。
彼女を道連れに死んでしまったから「魔物」=子ども説なら、会いたかったなんて感情より、自分の行いへの後悔の方が先立つ気がします。とか。諸々あるように私は思います。
余談 この曲のすごいところ
まず、歌詞が少ない。
少ないのに、ここまで映像を見せ、聴き手を魅了する!
毎度のことながらすごすぎます。
たとえば、“自転車”というワードは一切出ていないのに、「二人乗り」のあたりの歌詞だけで、自転車で迎えにきて彼女を乗せてこいでいく姿が目に浮かぶようになっています。
一生懸命に解説したこの記事があり得ない長文になっていることからも歌詞のすごさは察していただけそうです。笑
さらに、この曲が切ない内容であることを感じさせるため、全体的に不穏な印象の言葉を随所に置いて印象を導いています。
「魔物」の他にも、「なまぬるい」「ドブ川」「折れそう」「追われる」「大粒の雨」「おぼれた」「クモの巣」「殺してしまえば」といった、聴き手を何となく不安にさせるワードを散りばめていますね。
そうなると暗い曲になりそうなところ、全体はマイナー調で進行しながらもスピードが早く、疾走感があるため、切なさを感じつつも聴き手は一息に聴いてしまいます。素晴らしい。
この曲の続きは『楓』
そして、もっと言うと、この曲の続きは、『楓』だと私は思っています。。
風が吹けば飛ばされそうな 軽い魂で
《出典》 作詞:草野正宗『夏の魔物』
人と同じような幸せを信じていたのに
「軽い魂」はいつ命の灯火が途絶えてもおかしくない、
そんな「君」の状態を思い浮かべます。
『楓』は、大切な人の死の後を、自分だけのままで生きる不安、そして生きる決意を少しでも固めようとする曲に思えますよね。
それに、少し秋っぽくないですか。
まとめ
いかがだったでしょうか。
「呪文も」というところから“「魔物」に会う”意味をとらえた解釈を展開しました。
私にはこの曲は、このような世界に聴こえました。
もちろん、誰にでも、どのようにも解釈する余地がこの曲にはあります!
検索してみると、本当に色々な種類の解釈があり、
それだけ人の心に訴えかける名曲なんだな、と改めて思います。
あなたには、どんな曲に聴こえますか?
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